2012年11月26日
昨日は三島,森田両烈士の命日である。
本当にたまらない気持ちになる。
三島森田両烈士の慰霊祭と云えば憂国忌が有名だが、
横浜の鶴見区で三島森田事務所がひっそりと慰霊祭を行っている。
元楯の会の班長の集まりである。
私は前者側だが、此方の方が正しいかと思われる。
しかし、三島の生きた時代の左翼は、一本筋が通っていた。一般左翼の多くは、マルクスやレーニンを学びながらも、結局は毛沢東思想の実事求是、現実から学んで理論を立てる段階に移行し行動していたが、過激派と云われた極左思想原理主義者は教条主義者に騙されてはダメだと説き、実践を軽視して理論に拘泥しているようでは、いつまで経っても人民は救われないと実力行使を辞さなかった。
三島と森田の鮮烈な自刃は、前者を沈黙させ、後者をも感嘆せしめた。
これ以上の義挙を結局左翼は一つも、なし得ず内ゲバで殺し合いに終始し、凋落した。
あの時代の左翼はトマトだった。
中も外も真っ赤だったが、今は見てみろ!
リンゴみたく外は赤いが中身は白い無思想な社民党や、
外は緑で中身は真っ赤な民主党みたいな奇形ばかりになってしまった。
右も一緒だ。結局保守と云えども敗戦イデオロギーを保守したい敗北主義者に過ぎない。
本物の左翼は今も居る筈だ。
深く潜り込んで革命の時を待つ…
しかし、革命は、なし得ない。
三島事件以降、いや以前から左翼がお越した義挙は皆無なのだ。
これからも、それは変わらない。
三島森田両烈士の慰霊祭と云えば憂国忌が有名だが、
横浜の鶴見区で三島森田事務所がひっそりと慰霊祭を行っている。
元楯の会の班長の集まりである。
私は前者側だが、此方の方が正しいかと思われる。
しかし、三島の生きた時代の左翼は、一本筋が通っていた。一般左翼の多くは、マルクスやレーニンを学びながらも、結局は毛沢東思想の実事求是、現実から学んで理論を立てる段階に移行し行動していたが、過激派と云われた極左思想原理主義者は教条主義者に騙されてはダメだと説き、実践を軽視して理論に拘泥しているようでは、いつまで経っても人民は救われないと実力行使を辞さなかった。
三島と森田の鮮烈な自刃は、前者を沈黙させ、後者をも感嘆せしめた。
これ以上の義挙を結局左翼は一つも、なし得ず内ゲバで殺し合いに終始し、凋落した。
あの時代の左翼はトマトだった。
中も外も真っ赤だったが、今は見てみろ!
リンゴみたく外は赤いが中身は白い無思想な社民党や、
外は緑で中身は真っ赤な民主党みたいな奇形ばかりになってしまった。
右も一緒だ。結局保守と云えども敗戦イデオロギーを保守したい敗北主義者に過ぎない。
本物の左翼は今も居る筈だ。
深く潜り込んで革命の時を待つ…
しかし、革命は、なし得ない。
三島事件以降、いや以前から左翼がお越した義挙は皆無なのだ。
これからも、それは変わらない。
Posted by 逢坂秋介 at
14:00
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