2012年11月02日
山口烈士の命日
今日11月2日は、山口ニ矢の命日。
昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。
崇拝している人物は、アドルフ・ヒトラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。
昭和34年、16歳で大日本愛国党に入党するも、翌35年5月に同党の吉村法俊、中に同党の吉村法俊、中堂利夫と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成。
同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の社会党の浅沼稲次郎を刺殺し、現行犯逮捕された。
携行していた檄文には、
「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」
と認めていた。
逮捕されたニ矢は供述調書にも素直に応じ高校生になった頃「共産主義はマルクスの唯物論的弁証法を指導原理とし、資本主義は共産主義と同じ様に唯物論から出発した個人主義である。唯物論は物質中心の精神主義を軽視したものだ」と共産主義と資本主義の欠陥を指摘し「日本は古来の伝統を生かして精神を基礎として物質面も豊かになる唯物論優先の二元論で行かなければならない。その為には共産主義その為には共産主義、資本主義は共に倒さなければならない」との思想に至る。
彼の人生観は、「私には日本人の血が流れており唯物論ではとうてい割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものがたぎっており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べている。
最後に今の心境を聞かれ、「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為についてすから、行為については、法に触れることではありますが、今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし、迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」と吐露している。
供述調書を取り終えた11月2日未明、ニ矢は、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。
これが十代の生き方なのか?
本当に惜しい人物だ生きていたら、絶大なる指導者だったろう。
今も昔も歴史を塗り替えたのは血だ。
山口烈士に合掌
昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。
崇拝している人物は、アドルフ・ヒトラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。
昭和34年、16歳で大日本愛国党に入党するも、翌35年5月に同党の吉村法俊、中に同党の吉村法俊、中堂利夫と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成。
同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の社会党の浅沼稲次郎を刺殺し、現行犯逮捕された。
携行していた檄文には、
「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」
と認めていた。
逮捕されたニ矢は供述調書にも素直に応じ高校生になった頃「共産主義はマルクスの唯物論的弁証法を指導原理とし、資本主義は共産主義と同じ様に唯物論から出発した個人主義である。唯物論は物質中心の精神主義を軽視したものだ」と共産主義と資本主義の欠陥を指摘し「日本は古来の伝統を生かして精神を基礎として物質面も豊かになる唯物論優先の二元論で行かなければならない。その為には共産主義その為には共産主義、資本主義は共に倒さなければならない」との思想に至る。
彼の人生観は、「私には日本人の血が流れており唯物論ではとうてい割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものがたぎっており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べている。
最後に今の心境を聞かれ、「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為についてすから、行為については、法に触れることではありますが、今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし、迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」と吐露している。
供述調書を取り終えた11月2日未明、ニ矢は、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。
これが十代の生き方なのか?
本当に惜しい人物だ生きていたら、絶大なる指導者だったろう。
今も昔も歴史を塗り替えたのは血だ。
山口烈士に合掌
Posted by 逢坂秋介 at
23:59
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