2012年10月13日
違法無線の世界3
そして、いよいよ私が無線を辞める時が来た。
きっかけは、やはり抗争だった。
最後は理事長がカタを付けないならない事をやった。
それは、自分達のルーツの話になる。本来なら仲間が殺されブラックカラーに入る団体なのにブルーカラーに入った団体とずっと、うちは揉めていたんだ。
絶大なる一つの強い固定局を持つ連合加入団体…
ただ、相手は連合ではなく、その団体に絞って大まかな住所を調べ、四方八方から向こうを囲む固定局を設置し、互いに電波のかぶせ合いをする無線の掟破りをした(要は向こうの通信機能を電波を被せ不能にする)
いきなり、全員が向こうのチャンネルに入りバトルは始まった。
引いたら負け…
クラブの名を賭け司の名を賭けて大阪中の移動局や固定局が耳を澄ます中で相手が引くまで続ける…相手が落ちたのを確認し、最後の言葉を私は発した。
「本日の交信をこれにて終了する。またこの責を取り〇〇会固定局全員は、本日よりスタンバイに入る。二度とマイクを握らない覚悟を持ち我々は本日を終える事を宣言する。次は理事長の指令を待ち全員電源を切れTENTEN」
この始末を理事長に頼み、我々はパーソナル無線を捨てた。
現在もそのクラブは存在するし、名古屋の友好団体と合同するように当時固定局でコントロールしていた為現在も盛んだと聞く。
この歳になり、毎日がトラブルで睡眠時間のなかったあの時が懐かしくなったので書いて見た。
これは、ずっと封印していた話なんだ。
この当時、名古屋の同じ任侠組織の別人から再三私はスカウトを受けていた(爆笑)その時の話もまた、書いてみたい。
実際ギリギリを書いた。団体は実在するし、ケツ持ちも双方今でも絶大なる力を持つ団体で現存する。他では書けない話を書いてるんで、そこは許してくれ。
俺をスカウトし続けた親になる筈だった親分も理事長も存命だしな(笑)
たかが、無線でも歴史はあるんだ。
そして、俺は修羅場が大好きだったんだ(笑)もう疲れたから修羅場は遠慮したいがな。
きっかけは、やはり抗争だった。
最後は理事長がカタを付けないならない事をやった。
それは、自分達のルーツの話になる。本来なら仲間が殺されブラックカラーに入る団体なのにブルーカラーに入った団体とずっと、うちは揉めていたんだ。
絶大なる一つの強い固定局を持つ連合加入団体…
ただ、相手は連合ではなく、その団体に絞って大まかな住所を調べ、四方八方から向こうを囲む固定局を設置し、互いに電波のかぶせ合いをする無線の掟破りをした(要は向こうの通信機能を電波を被せ不能にする)
いきなり、全員が向こうのチャンネルに入りバトルは始まった。
引いたら負け…
クラブの名を賭け司の名を賭けて大阪中の移動局や固定局が耳を澄ます中で相手が引くまで続ける…相手が落ちたのを確認し、最後の言葉を私は発した。
「本日の交信をこれにて終了する。またこの責を取り〇〇会固定局全員は、本日よりスタンバイに入る。二度とマイクを握らない覚悟を持ち我々は本日を終える事を宣言する。次は理事長の指令を待ち全員電源を切れTENTEN」
この始末を理事長に頼み、我々はパーソナル無線を捨てた。
現在もそのクラブは存在するし、名古屋の友好団体と合同するように当時固定局でコントロールしていた為現在も盛んだと聞く。
この歳になり、毎日がトラブルで睡眠時間のなかったあの時が懐かしくなったので書いて見た。
これは、ずっと封印していた話なんだ。
この当時、名古屋の同じ任侠組織の別人から再三私はスカウトを受けていた(爆笑)その時の話もまた、書いてみたい。
実際ギリギリを書いた。団体は実在するし、ケツ持ちも双方今でも絶大なる力を持つ団体で現存する。他では書けない話を書いてるんで、そこは許してくれ。
俺をスカウトし続けた親になる筈だった親分も理事長も存命だしな(笑)
たかが、無線でも歴史はあるんだ。
そして、俺は修羅場が大好きだったんだ(笑)もう疲れたから修羅場は遠慮したいがな。
Posted by 逢坂秋介 at
19:09
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2012年10月13日
違法無線の世界2
なんか書く順番を間違えたからまずは、カラーの説明からしようか。
CB無線ではチャンネルが10と少ししかなくて、中でも4CHってのは元来任侠の薬取引とかで使われてた特殊チャンネルだったんだ。
無線マニアは、4CHには近付くな!が合い言葉だった。
そして、創世記のある時に殺人事件が起きて内部分裂が起きた。
その時に殺された奴側に付いたのをブラックカラー、殺した側がブルーカラーと呼ばれ二分割し無線クラブ同士が対立を深め続いていたんだ。
実際任侠の世界では、仲良くとも無線クラブが代理戦争みたいな形になったんだよ。
勿論、ブラックとブルーに後、右翼が面倒見てる最大団体がピンクカラーだったかな?
何分大昔の話だからな。多少の間違いは勘弁して欲しい。
CBと違いパーソナル無線は群番号は5つ、私の入った〇〇会は00004ポイントを使っていた。この番号も多数のブルーやブラックの団体が使いややこしい事この上ない群雄割拠状態だった。
そして、うちは、ケツ持ちが無茶苦茶に強いのに控え目なクラブだったんだ。
私は高台の自宅に固定局を上げ、次々に周りのクラブから電波の強い固定局を引き抜きを図り一大固定局ネットワークを作り上げた。
喧嘩上等で売られたら、どこでも車で駆け付け、私が話を付けた。
ケツ持ちは間違いなく強くうちは勝つ金看板だ。
四次五次団体ではなく直系二次団体だったからね。
最終出て来た相手のケツ持ちがうちのケツ持ちの名前を聞き逃げて、残った相手のクラブの二十人を三人で正座させた事もあるし、他団体のトラブル(弱小団体吸収)に介入し、私が弱小団体を吸収し拡大路線を取った。
うちの窓口は24時間オープンを目指し、女性オペレーターも常に居た。
一本どっこながら、関西エリアでは、超有名になったんだ。
段々立場も上がりトップを勧める勢力も居たが、断り固定局監査役を受けた。
そうなると、対立グループが目障りになって来る(笑)
何年も続いてる戦争に私がケリを付けたい欲望が生まれて来た。当時は、私の無線機もプレミアの名器シンワのG3になって五ワットのマシンに40ワットのパワーアップしていた。因みに最高が高知の四万十川との移動局との交信(爆笑)
そして、虎視眈々と機会を窺い、私達は相手をヒットするタイミングを待った。
CB無線ではチャンネルが10と少ししかなくて、中でも4CHってのは元来任侠の薬取引とかで使われてた特殊チャンネルだったんだ。
無線マニアは、4CHには近付くな!が合い言葉だった。
そして、創世記のある時に殺人事件が起きて内部分裂が起きた。
その時に殺された奴側に付いたのをブラックカラー、殺した側がブルーカラーと呼ばれ二分割し無線クラブ同士が対立を深め続いていたんだ。
実際任侠の世界では、仲良くとも無線クラブが代理戦争みたいな形になったんだよ。
勿論、ブラックとブルーに後、右翼が面倒見てる最大団体がピンクカラーだったかな?
何分大昔の話だからな。多少の間違いは勘弁して欲しい。
CBと違いパーソナル無線は群番号は5つ、私の入った〇〇会は00004ポイントを使っていた。この番号も多数のブルーやブラックの団体が使いややこしい事この上ない群雄割拠状態だった。
そして、うちは、ケツ持ちが無茶苦茶に強いのに控え目なクラブだったんだ。
私は高台の自宅に固定局を上げ、次々に周りのクラブから電波の強い固定局を引き抜きを図り一大固定局ネットワークを作り上げた。
喧嘩上等で売られたら、どこでも車で駆け付け、私が話を付けた。
ケツ持ちは間違いなく強くうちは勝つ金看板だ。
四次五次団体ではなく直系二次団体だったからね。
最終出て来た相手のケツ持ちがうちのケツ持ちの名前を聞き逃げて、残った相手のクラブの二十人を三人で正座させた事もあるし、他団体のトラブル(弱小団体吸収)に介入し、私が弱小団体を吸収し拡大路線を取った。
うちの窓口は24時間オープンを目指し、女性オペレーターも常に居た。
一本どっこながら、関西エリアでは、超有名になったんだ。
段々立場も上がりトップを勧める勢力も居たが、断り固定局監査役を受けた。
そうなると、対立グループが目障りになって来る(笑)
何年も続いてる戦争に私がケリを付けたい欲望が生まれて来た。当時は、私の無線機もプレミアの名器シンワのG3になって五ワットのマシンに40ワットのパワーアップしていた。因みに最高が高知の四万十川との移動局との交信(爆笑)
そして、虎視眈々と機会を窺い、私達は相手をヒットするタイミングを待った。
Posted by 逢坂秋介 at
19:01
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2012年10月13日
違法無線の世界
皆さんはCB無線って御存知かな?
まだ、携帯の普及してない時代の事だ。CB無線はシチズン(市民無線)としてトラックドライバーを中心に流行った。
様々な違法部品を使いハイパワーにした違法無線に手を焼いた法務省は900メガヘルツの電波帯をパーソナル無線に振り分けCB無線撲滅とパーソナル無線普及を目指した。
車から伸びるアンテナと世界が広がるのに憧れ欲しかったが何分金がなかった。しかし、手癖の悪い奴がどこかから、クラリオンのJC9って奴を手に入れたのを
「それくれよ」
って貰い(脅し)私もパーソナル無線を始めた。
やるなら無線クラブだ!
しかし無線クラブに入ろうにも全くツテがない。
そこでみんなの広場で初めて繋がった人が居るクラブに入ろうと勝手に決めたんだ。
登録してロムを貰い初めて繋がった人のクラブに私は入ったんだ。
「全日本〇〇会」
運命的な出会い
その団体はブラックカラーつまり菱系の団体だった。
ケツ持ちは「名古屋」ナンバー1は必ず頭に「司」が付く。
つまり、今の六代目の団体だった(笑)
私の最終コールは理事長から貰った「司観光」って名前だった。
最初は適当な名前でやってたが、段々楽しく無線の世界にのめり込んで行った。
入ってすぐ、〇〇会は連合組織を抜け一本どっこになった。
これを機に私は新米ながら、密かに拡大路線を疾走した。
とにかく女性オペレーターを入会させトラックドライバーの憧れの団体にするとか卑怯な事もしたな(爆笑)
まだ、携帯の普及してない時代の事だ。CB無線はシチズン(市民無線)としてトラックドライバーを中心に流行った。
様々な違法部品を使いハイパワーにした違法無線に手を焼いた法務省は900メガヘルツの電波帯をパーソナル無線に振り分けCB無線撲滅とパーソナル無線普及を目指した。
車から伸びるアンテナと世界が広がるのに憧れ欲しかったが何分金がなかった。しかし、手癖の悪い奴がどこかから、クラリオンのJC9って奴を手に入れたのを
「それくれよ」
って貰い(脅し)私もパーソナル無線を始めた。
やるなら無線クラブだ!
しかし無線クラブに入ろうにも全くツテがない。
そこでみんなの広場で初めて繋がった人が居るクラブに入ろうと勝手に決めたんだ。
登録してロムを貰い初めて繋がった人のクラブに私は入ったんだ。
「全日本〇〇会」
運命的な出会い
その団体はブラックカラーつまり菱系の団体だった。
ケツ持ちは「名古屋」ナンバー1は必ず頭に「司」が付く。
つまり、今の六代目の団体だった(笑)
私の最終コールは理事長から貰った「司観光」って名前だった。
最初は適当な名前でやってたが、段々楽しく無線の世界にのめり込んで行った。
入ってすぐ、〇〇会は連合組織を抜け一本どっこになった。
これを機に私は新米ながら、密かに拡大路線を疾走した。
とにかく女性オペレーターを入会させトラックドライバーの憧れの団体にするとか卑怯な事もしたな(爆笑)
Posted by 逢坂秋介 at
14:54
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